第31回歴史散策

少し肌寒いが、好天の14時に京急の八丁畷駅前に参加者13名が集合した。いつものように事前に調べた資料を配布し出発した。
駅前の東海道貨物支線跡の赤煉瓦橋台、芭蕉の句碑を見学した後に南武支線の浜川崎駅に向かう。支線のために本数が少なく、時間調整に苦労する。浜川崎駅から旧日本鋼管の正門跡を見て、市電「日本鋼管前」電停跡から1960年頃まで走っていた「市電通り」を眺め往時を偲んだ。かつての京浜事業所の正門近くに新しいビルが建設され、研究開発の拠点に変わりつつある。
浜川崎駅に戻り、今度は隣接する鶴見線の浜川崎駅から浅野駅{京浜工業地帯の生みの親である浅野総一郎氏に因んで命名}で下車、消滅した「川崎運河」の遺構を眺めた。浅野駅に戻り国道駅で下車、未だに残る太平洋戦争時の米軍艦載機の機銃掃射の弾痕跡を見て高架下の商店街跡を通り鶴見川河岸へ向かう。「臨港鶴見川橋」を眺め、「総持寺駅跡」、「本山駅跡」を通って鶴見駅へ向かうが、完全に独立した高架上の鶴見線ホームに延伸計画のあったことが理解できる。大正末期から京浜工業地帯の発展に鉄道がいかに貢献してきたかが、偲ばれる散策だった。

帰りには川崎駅に出ていつもながらの、散策後のお楽しみの会食。話も弾んで有意義な一日だった。

(児玉總一郎 記)

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