先日の幹事会で綱川副会長(1973社学)から次回で600回を迎えるワセダサロンの歴史が紹介され、50年余続くワセダサロンの重みを感じ、今後も継続していく大切さを学んだ。
小雨がそぼ降る中、第599回目のサロンを開催した。井上会長(1969法研)は挨拶と乾杯の後、2032年に迎える大学創立150周年記念募金にあたって川崎稲門会としては手持ち基金から拠出するのではなく、3期にわたる募金期間の会合毎に募金箱を設置して会員からの浄財を募る方式への変更に理解を求めるお願いをした。併せて板橋幹事長(1977政経)より補強説明として募金箱現物の紹介と、まとまった募金により掲げられる銘板に川崎稲門会の名を遺したいとの発言があった。今回も横浜稲門会から仁井幹事長と井上滋邦幹事長代行が出席され、それぞれご挨拶をいただいた。板橋幹事長から前回サロン以降の事務連絡等の報告があり、来月行う校友大会の式次第と役割分担が確認され、永島幹事長代行(1983法)からその集約状況、能智幹事(1982文)から稲門祭グッズの購入金額は目標額を大幅に上回っているとの報告があった。また会場の確保、経費の高騰、スタッフ不足などの課題を抱える県支部大会のあり方について県下の稲門会が集まる検討会を説明した。
本日の講師は、ワセダエクステーションセンターに勤める小松会員(1992社学)のかつての同僚で現在通商産業省に勤務するかたわら早稲田大学坪内記念演劇博物館で招聘研究員を担われる文学博士 石坂安希氏(2016文研)。石坂さんは聖心女子大学卒後、早稲田大学大学院文学研究科で宝塚女子歌劇団の研究で学位をとられた。「大人のためのタカラヅカ入門―舞台芸術×都市文化」というテーマで、興味はあるがなかなか知りうる機会の少ないタカラヅカについて、浅草生れの小気味の良い語り口で話され、話題毎にホ~ッという声がでるように惹きつけられた。
阪急電鉄の創始者小林一三は「郊外の健康的な田園生活」をキャッチコピーに沿線開発を行い、その先見性は東急の五島慶太などに大きな影響を与えた。1910年最初に開通した箕面有馬電機軌道の終着駅であった宝塚に「家族揃って楽しめる行楽地」としてレジャー施設や温泉を整備した。1913年素人のお嬢さん芸として宝塚少女唱歌隊を結成し1914年第1回公演を行った。当初は国民性に合うように歌舞伎を基盤とし、お伽話をオペラ化したミュージカルを上演したが、1927年フランスのレビューを取り入れたモン・パリの成功から、現在のミュージカルとレビューの形式になった。その後東京にも進出し、各種官庁、銀行や会社がひしめき、出入りするサラリーマンのため、高尚な娯楽地帯を作るという経営法から日比谷に東京宝塚劇場や帝劇などの劇場街を形成した。宝塚歌劇団は宝塚大劇場をムラと称し、東宝と二拠点を持ちながら寿美花代、葦原邦子などのスターも生まれ、現在のタカラヅカに発展した。濱氏(1969商)、綱川氏からトップスターと封建的な先輩後輩の関係、能智氏(1985文)から女性集団への疑問、タカラヅカ・フリークの柳沢氏(1982理工)からなぜタカラヅカをテーマに研究したのかなどの質問があり、最後にすみれの花ではなく、校歌斉唱と石坂安希氏にエールを送り、散会した(板橋洋一 記)。